東出雲の三傑

陣幕久五郎

 文政12年(1829年)下意東の貧しい農家に生まれた久五郎は、幼少の頃より力が強く、19歳の時に尾道市の力士に弟子入りしました。
  その後江戸に出て腕を磨き39歳の時に第12代横綱の免状を手にしました。入幕から引退までの勝率は94.6%。取り口はじっくり腰を据えるタイプで、一度土俵際で踏ん張れば攻略不能で「負けずの陣幕」の異名をとりました。また、終生ただの一回も待ったなしの輝かしい記録を残しています。


市川門之助

 幕末の文久2年(1862年)揖屋に生まれた歌舞伎役者。正月の芝居に子役で出演したのをきっかけに芸の道へ進み、大阪・東京で数々の舞台に出演しました。その後市川宗家に入門し、市川女寅と名乗りました。晩年六世門之助を襲名しましたが、女寅の時代が長かったため「女寅はん」の名で親しまれ、女形として9代市川団十郎らとともに活躍しました。


佐藤忠次郎

 佐藤造機(株)(現在三菱マヒンドラ農機(株))創設者で、農業機械の発明王と言われています。
 少年の頃、自転車で田んぼを走っている途中くぼみにはまって倒れ、横転した車輪の動きをヒントに回転式稲扱機を作りました。その後研究を重ね、数々の農機具を発明し、新しい工場を建設して市場を開拓し、東出雲の産業の主軸となりました。


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